日本人の手による日本最初の西川オルガン
   
新聞記事
東京新聞2001年12月16日
千葉県出身の三味線職人の西川虎吉はドイツ人カエルノ氏、イギリス人クレーン氏の元でピアノの製作を修得後、明治13年か明治16年頃に工場を現在の横浜市中区日ノ出町2丁目に西川オルガン製造所をに設立。西川オルガンは東京音楽楽校、
陸軍軍楽隊や教会などに製品を納めた。虎吉が大正9年に亡くなると、折からの不況も相まって大正10年に日本楽器(現ヤマハ)に合併された。
西川オルガンのブランドは信頼があったために、日本楽器のオルガンには、戦前まで「Nishikawa」の文字が刻まれ、製作が続いた。
このオルガンは日本キリスト教会(横浜市鶴見区)の地下のホールで使用されてきた。教会がオルガンを手放すことを教会に通う人が聞き、縁あって日ノ出町町内会に伝えられ平成13年11月に日の出町町内会に引き取られたものです。説によると大正10年から昭和17、18年ごろの間に横浜市神奈川区の工場で製造されたオルガンではないかと、云われている。
 
     

 

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